メモ帳

恋の何歩か手前

要するに私には難しいことは分かりません

なにかとにかくアウトプットしなければいけない。そんな強迫観念みたいなものがいつからか頭の中に巣食っている。

インターネットを使えばSNSや動画配信サイトなど、その他諸々で気軽にアウトプットすることができる。

承認欲求のためと言ってしまえば簡単かもしれない。発言とか作品(と言うのは少々大袈裟な場合もあるかもしれないけれど)が認められれば、人間はとても気持ちが良くなる。

でも、それだけではないはずだ。当たり前だけどアウトプットの目的はそれだけではない。

自分の為にアウトプットする。いや、承認欲求を満たすのも自分の為ではあるのだけど。

承認欲求が目的ではなく、他者の反応に重きを置かないアウトプット。自分の分身をそこに作り上げておいて自分で忘れないようにするためのアウトプット。インプットしたあらゆることを自分のものにするためのアウトプットだ。

承認欲求よりもずっと大切な、アウトプットの目的。これに気付くまでにえらく長い時間を費やした気がする。

そして、仮に本当にそれに気付けているのだとしても、やっぱり承認欲求のやつが私の心を支配しようとする。でも、それはそこまで悪いことではないとは思うのだけど。

認められたいという感情は人間の本能なのだから決して悪いことではない。でも、はっきり言って邪魔ではある。

だから私にとってそれが一番重要なのではなくて、もっと重要なものがありますよって、いちいちアウトプットして自分に知らせなければならない。すぐ忘れそうになるから頻繁に。

話は戻るけど、私がアウトプットの目的にしたいのは、自分のために自分の分身を作るということ。

でもそれってネットでなくてもいい。こうしてブログに書く必要はない。なぜならブログに書く以上、他人が読むかもしれないからだ。他人が読むかもしれないってことは、少なからず他人を意識する。それは、ほんの少しだとしても承認欲求のやつが顔を覗かせるってこと。

だから、自分だけのためにアウトプットするならばメモ帳とかノートに書けばいい。それはそうなのだけどさ。

そんなこと分かってはいるけど、私は今こうしてこういうことをここに書いているってことはやっぱりどこかで認められたいんですよね。それはそれとして自分でそれを受け入れればいい。悪いことではないからね(何回言うんだ)。

なんかここまで良く分からないことをうだうだ書いてきたけど、要するにブログが好きなんだよ。ブログが好き。多分それで、文章を書いて発信するのも好き。

でも承認欲求に支配されてそれだけのために書くモンスターになるのはまっぴらごめんてこと。だからバランス良くやりたいの。

自分のためのそれと承認欲求の比率が8:2くらいがいい。いや、9:1くらいでもいいかな。

その為には格好つけないようにしたい。承認欲求のせいで書くことに格好つけてしまうと自分が考えていることとか思ったことからどんどん離れていってしまうから。

離れてしまうと当たり前だけど自分の分身を作り出すことが出来なくなってしまう。

そうなってしまうと比率がひっくり返って1:9とかになってしまうので、ちょっとそれだと意味がなくなる。時間の無駄。

少し前に芥川龍之介の歯車を読んだのだけど、ちょっと何が言いたいのか意味が分からなかった。

そういう時は「芥川の歯車、ちょっと意味が分からなかった。て言うか"のみならず"使いすぎだろ」と正直に書けばいい。

格好つけて思ってもいないことをああだこうだこねくり回しているようじゃ意味がない。時間の無駄です。

と言うことで、書きたいことは全部書いたのであとはこれ読んだ人ちょっとだけ褒めてください。