メモ帳

恋の何歩か手前

後悔のピント

受付してくれたハローワーク職員のおじさんがとても陽気な人だった。

「あなたと同じ様な境遇の方が来た時、こんなことがあって…がはははは!」

みたいな感じで、一人で話して自分で大笑いする。

楽しくて良いんだけど、私たちの隣の席では静かに淡々と受付が行われていて、ちょっと気になってしまった。

うちらうるさいよね、ごめんねって思った。うるさいのはおじさんなんだけど。

おれは、友達とかと電車に乗って話していると、周りが気になってしょうがなくなる。静かな車内だとなおさら。

あとは病院の待合室とか、ちょっと静かなレストランとか。

うちらうるさいよね、ごめんねって。

他人は他人のことをそこまで気にしてないのだろうけど。

〜〜〜

息子(7ヶ月)が脇のところを軽く支えてやれば自分の足で立つようになったので、実家の母に見せに行ったらとても喜んでいた。

実家の母は、昔のことを思い出しては悔やんでしまうことが人より多いと思う。そしてそれを一緒に住んでいる父や妹に漏らす。

昔からそうなのだけど、そんな自分が嫌になって最近、友達に相談したら

「考えてしまうのは仕方ないとして、誰かに話すのは自分のためにも良くないのでは」

と言われたらしい。

いつか何かの本で読んだけど、人は自分が話した言葉を自分の耳で聞いて、自分自身でもその内容を確かめているみたいな。ちょっとうろ覚えだけど。

確か茂木健一郎さんの本だったかな。間違えてたらごめんなさい、茂木さん。

私たちは都市に暮らしていて、人と言葉を交わす事がとても重要で、むしろそれが生活を支えていると言っても過言ではない。

ということは、都市に住む以上、日々使う言葉が自分自身を作っていくと言っても過言ではないのかもしれない。

私も気を付けなければ。

Twitterにこんなことを呟いている場合ではない。Twitterにこんなことを呟いたとしても、他人は他人のツイートをそこまで気にしてないのだろうけど。

 

私も最近、ある時期のことを思い出しては激しい後悔の念に駆られる。

そのある時期というのが、多分、後悔しやすいところにあるのだと思う。

後悔をする時、今から遡って近過ぎる過去でも遠過ぎる過去でも駄目なのではないだろうか。

近過ぎると記憶が比較的鮮明なので過去としてまだ上手く認識できない。遠過ぎると記憶が曖昧になってしまって思い出し辛い。

後悔というピントにちょうど合う過去があるのではないかと思う。

だから、今はピントがズレてくれるまでじっとやり過ごすしかないのかもしれない。

そうするとまた今度はその後ろに控えている過去にピントが合うかもしれないけど。

そんなことをふと考えたりしている