メモ帳

恋の何歩か手前

後悔

この『私生活』というブログ、実は、昨日今日開設した訳ではない。すっかり忘れていたけれど、半年以上前の自分が、下書き保存しておいたエントリーが、ひとつだけ残っていた。せっかくなので公開したい。当エントリーのタイトルも、下書き保存されていたままだ。

本文は以下にそのまま転載

● 起きたら15時だった。寝溜めはできないのは分かっている。でも休みだと思うと、ここぞとばかりに寝てしまう。そして後悔する。後悔は先に立たない。ブログの公開も先延ばしにしていると後悔するかもしれない。後悔と公開。つまらん

● 躍起になって有益な情報を発信しているブログ達を尻目に、どうでも良い日常を綴っていこうと思う。自分が後になって見返したい。どんなことをして、どんなことを考えていたのかを記録したいという、ただそれだけ。

オフラインのメモ帳ではなく、ブログでこういったことを始める理由は特にない。理由はなくて良い。誰かの為に書く訳ではないから。

● 一人称は極力使わない。これはマイルール。

● 家の財布から借りている40万近くのお金をどうやって返済していくか考えていたら絶望的な気分になった。
ウーバーイーツで小銭を稼ごうと思っていたが、起床してからのルーティンになっているお通じが来ないので行くに行けない状況が3時間ほど続いたところで諦めた。
かと言って何もしないのは落ち着かないので、使っていないカメラや本などをメルカリに出品。
便意がないだけで予定を変更する辺り、過敏性腸症候群は完治した訳ではないようだ。

● ネットにて求人情報に目を通すが週1の仕事を新しく始めるくらいならウーバーやメルカリをやっていたほうがマシだと思ってブラウザを閉じる。いつかにも同じことをしたような気がする。

● 明日から3連勤なので憂鬱。どこかに腰を据えて務めるか、それとも今の生活をしばらく続けるか。どちらにせよできるだけ多くのお金を稼いで返済に当てなければならない。何か1発当てることはできないだろうか、とか考えてしまうあたりまだ懲りていないようだ。

● なにをするにしても時間をかけなければならない。よく分かったはずだ。同じ轍は踏まないように。コツコツ積み上げていった先に一体全体何が残るのだろう。皆、何を考え何を目指しているのだろう。

 何故か箇条書き。半年以上経過した現在と比べて、考えていることは同じようで全然違う。

休みの日は、確かに今でも寝坊してしまうが、15時まで寝てしまうということは無くなった。どれほど欲を出しても、昼頃には起きてしまう。ブログも公開した。

当ブログを始めるにあたり、「どうでも良い日常を綴る」というコンセプトは変わらなかったみたいだけど、動機が少し異なる。自分の中で完結させるよりも、やっぱり、他の誰かに少しでも見てもらいたい。画面の向こうに、「誰か」を感じたい。

一人称を使わない、というのは意味が分からないけれど、少し面白いので、若干意識してみようかな。

ウーバーイーツは、エントリーを下書き保存した後、宅配バッグを返却して辞めている。www.yota-sakana.com

上述した下書きエントリーを作成していた頃、バイトを2つ掛け持ちして、確か週4のペースで働いていたと思う。フリーランスとして、ライター活動をしていたが、あまりうまく行かなくなって、どうしようかと路頭に迷っていた頃だ。

今もバイト先は変わらないが、週5日のペースで働いている。そして、恐らく、近い内に次のステップを迎えることになる。

家からの借金も、残債が半分近くになっている。もうメルカリアプリもしばらく開いていない。

何か1発当たればいいな、とは確かに今でも少し思ったりするけれど、その「何か」が何なのか分からないし、特に手段を考えている訳でもない。生涯暮らしていけるだけのお金が一発で手に入ったら、その後の暮らしは楽だろうなあ、とは漠然と考えるけれど、考えるだけで、何かをやってみよう、という気持ちは起きない。

今まで、「一発当てるために何かやらなければ」という強迫観念みたいなものが常につきまとっていたのだけど、「何か」を自分ですることには向いていないということに気が付いた。具体的な計画を練ることも苦手だし、トライアルアンドエラーなんてもってのほか。努力を継続することも苦手で、自分を律することも、そういった状況を作り出すこともできなかった。

まあ、今思えば、考えているだけで、いつも本気ではなかったのだろう。そういうのを考えていること自体が好きで、夢心地になっていただけなんだと思う。

積み上げていった先に何があるのかは分からないけれど、今は、「今みたいな生活も悪くない」と思えている。朝、仕事に行って、帰ってきて妻と食卓を共にし、たまに酒を飲む。読書や映画鑑賞が、そういった生活を、さらに豊かにしてくれる。悪くない、と思う。

そもそも、「何かしなくては」という考えがつきまとっていた頃だって、見えていなかっただけで、そういう生活をしていたはずなんだ。

でも今は、しっかりと見えている。たった半年の内に、これほど視界がクリアになったのだから、これからもっと開けてくれればいいな、と思う。

世の中はきっと、何か明確な考えがあって、目指すところがしっかりと定まっている人ばかりではない。僕たちは、今、生活をしていて、そこに喜びや悲しみや、ここに書ききれないほどの沢山の感情があるだけなんだ。