メモ帳

恋の何歩か手前

君付け

旧友に出産の報告をしたら、飯でも行かないか、ということになって、お好み焼きを食べてきた。

僕らは、小学校からの付き合いで、高校まで同じ学校に通った。その後も何年か、しばらく集まっては、毎回、夜通し何をするわけでもなく一緒に過ごしたものだった。なんだか、今、振り返ると、冴えない若者の青春をそのまま絵に書いたような日々を過ごしていて、ちょっとだけ恥ずかしいような、でも、純粋に楽しかったなぁ。

久しぶりでも、そのままの関係で再会できるのが嬉しい。毎年、年末には忘年会を開くので、1年に一回は会っているのだけどね。だから、久しぶりと言っても1年弱といったところなんだけど、でも、毎日のように会っていた頃と比べると、久しぶりには違いない。

私は、その友人のことを君付けで呼んでいる。彼も私のことを君付けで呼ぶ。もう何十年もの付き合いになるのに、僕らは互いを君付けで呼び合う。

最初からそうだった。多分、小学生の時、出会った当初から。

最近、そのことになんだか違和感を覚えてきて、ちょっと呼び捨てで呼んでみようかなと思って、今回、意を決して、でも、結局、喉元で飲み込んでしまった。

だめだ。なんだかとても恥ずかしい。想像するとくすぐったい。

それで、どうしたら呼び捨てできるのか、と色々考えてみて、なんとなく自分の中で出た結論があるのだけど、それと言うのは、もうそのままでいいのではないかというもの。君付けで良いじゃないか。

もし、仮に彼との友人関係が、ずーっと、年寄りになるまで続いてたとして、その時に、笑いながら話してるのだけど、それぞれお互いのことを君付けで呼び合っている。素敵じゃないかね、うん。どうだろう。いや、でも、年相応の呼び方としてはさん付けかな。それも素敵だね。そこまで付き合いがあるのにさん付け。良いと思うよ、個人的には。

ということで、彼と同じくらいの付き合いがあって、互いに君付けで呼び合う人があと二人くらいいるので、彼らもまた、そのままでいいや、と思ったり。

そのままで、あるがままで、肩肘張らないで、やりたいように、好きなように。そういう生き方が理想的。我が子も、そういうふうに生きて欲しくて、そういう名前を付けました。その名前を、友人が褒めてくれたのが、とても嬉しかった。友人のことを、いつか我が子に紹介する時は、もちろん君付けで、とか思ったり。